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とくさつがすき - サヨナランドをつづる ① -

 

特撮が好きだ。

 

 

……まてまて、左上の×を押そうとするんじゃない。せっかく開いてくれたんだ、まあお茶でも飲んでゆっくりご覧になって下さいよ。

 

 

 

1歳半を過ぎる頃には既に円谷と東映に洗脳されていた。

アンパンに生命を吹き込まれ、愛と勇気を友人に持つ慈善活動家も、小5にして慢性的な無気力症候群の少年を更生すべく玄孫から派遣されたロボットも(現在後者の熱狂的信者であることは今回割愛致します)当時の私は好きにならなかった。

 

カメラを向けられれば必ずスペシウム光線を放った生粋の特撮少年、というよりウルトラマン少年であった。

 

アトピーの為、おでこに髪がかかって痒くならないよう丸刈りにされるのが嫌だったが、抵抗できず見事丸刈りにされ、泣きじゃくりながら拙い言葉で文句を垂れても、カメラを向けられればスペシウム光線を放った。

 

誕生日の写真もピースサインの代わりにスペシウム光線を放った。

 

公園で遊んでてもふとカメラを向けられればスペシウム光線…いや、違う、公園で放ったのは確かソルジェント光線だ。この違いがわかった先着1名には2マンライブの日に俺の宝物をあげよう。

 

 そんな訳で私は特撮愛に溢れた幼少期を過ごしたのである。

 

ある程度歳をとり、いい大人になった今、当時穴が開くまで見た作品を見直してみると、これがまあ面白いのでハマってしまった。

 

今ではすっかり大きいお友達の1人だ。

最近の特撮は映像の技術もさることながらストー……

 

 

なあ待ってくれ、また押そうとしたでしょう。わかるんだから、そういうの。

今から本題だから。ごめんって。

 

 

特撮の良いところはたくさんあるのだが、1つ今の作品には殆ど無くなってしまったものがある。

 

あくまで個人の意見だが、これは私が幼少期に触れた作品にはまだ存在していたものだ。

 

 

それは「死」である。

 

 

例えば平成ライダー3作目『仮面ライダー龍騎』は、肝心の仮面ライダーが13人もいて、命を懸けて殺し合いをする話だ。死んでいくライダーの描写は生々しく、さすがにこれ子供向けヒーロー番組だよね?と疑問に思わざるを得ない程だ。

ウルトラマンでも凄まじいのは昭和第2期最終作『ウルトラマンレオ』だと思う。

この作品、ざっくり言うと主人公と仲のいい少年、2人以外の主要人物が全員殺される。まあまあ見事に死ぬのである。

 

なんなら少年のお父さんは序盤に怪人から真っ二つにされる。割れた身体の人形(体内がちゃんと赤く塗ってあるリアルなやつ)が映されたシーンなんてもう悲惨である。

 

こうしたシーンが今の作品では無くなってしまった。

流石に昭和から平成初期はやり過ぎかもしれないが、今は殆ど誰も傷つかず、そして死なない。

 

ヒーローも仲間も、怪獣も怪人も。

みんな何らかの形で生き延びたり、改心したりする。

 

私は「死」の匂いがしない特撮を見てる時、都合の良い、作られてるなーっていう印象、フィクションを強く感じてしまう。

 

 

「死」を映すことは良くないんだろうか。

 

いや、「死」というより、それを生み出す「殺す」という行為が引っかかるのか。

 

大げさな話になってしまうが、私は特撮もそうだし、作り物、芸術などにおける「死」や「殺し」の表現は必要であると考えている。

 

それを想像し、描くことで、「生きる」事の大切さがわかる気がするからだ。

 

現実に生きる人が、動物が、故意に殺される事は駄目だ。あってならない。

 

理想は万物がそれぞれの形で生き抜き、死を迎える事だ。

 

こうした概念を抱くには、死を想像し表現したものに触れる事が必要なのでは?と思うのだ。

 

死ぬとはどういうことか。

何をして、何によって死は訪れるのか。

 

それを良く知り、想像させる事ができるのはフィクションだと私は思うのである。

 

 遺された人の悲しみ、恨み

 

もし誰かを殺した時、何が待っているのか

 

これらを全てフィクションによって想像できるのだ。

 

 

今の特撮(子供向け)のような、 「死」や「殺し」を避けた芸術に触れた人達はどうなってしまうんだろう。

 

あれ、答えが見えなくなったのでここでやめておこう。

 

道のりが長くなってしまった。

見事特撮の話だけで曲の事なんか何にも言ってない。

 

続きを書くことにしたので今日はこの辺で。

 

 

どうか次も左上の×ボタンを押すのは堪えて欲しい。

 

そんなこんなで書き終えた丁度、終電に乗るための駅に着いた。

 

だが既に電車は30分以上前に発車してしまい、真夜中5度の寒空の中、家まで10kmの距離をチャリで爆走するはめになった。

 

川を越えるための橋で限界に達し、自転車を漕ぎながら布施明を大熱唱したのは内緒である。