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バンドはかぞく、バンドとかぞく - Chefをつづる③ -

 

相手の考えてる事がわかれば苦労しない

 

なんて事は思わない。

 

その苦労こそが、私は対人関係において必要だと考える。

 

ただそれによって、やっぱり嫌な思いとかはするものである。

 

たまにわかってもらった方が助かるケースだってある。

 

昔、小学校2年か3年生くらいの時。

祖父母の家に2泊3日くらいの期間で帰省した時、私は一日中お腹が空かないという現象に襲われた。

 

緊張だったのか、わからないまま、とにかく食べられず、食べる気になれなかったので、出された食事を断ってしまった。

 

少し経って父が、少しでも食べた方がいいと、お中元とかで貰うような良い食材で簡単に作ってくれた。

 

何度も断るのは悪いと思ったのと、そこまでしてもらって申し訳なか思ったので、その食事を頂いた。

 

そしたら母が大激怒したのである。

 

確かにわかるのだ。

 

そういうやり方をして贅沢なものを食べようという汚いガキは指導が必要である。

 

でも私からすれば、そんな気は全く無く、むしろ逆だったからタチが悪い。

 

 

誰かとの衝突は、個人の偏見と誤解によって生まれてしまう。

 

すなわち自らがわからない事や知らないことに対して人は牙を剥くのだ。

 

 

メンバー2人と一緒に活動する中で、たくさんの衝突があった。

 

それもまた、知らず知らずのうちに自分の中で相手のイメージ、「像」を形成し、作った像と重ねる形で彼らと接していたのだ。

 

わかった気でいるから徐々に噛み合わなくなり、ぶつかるのである。

 

 

でもそれを繰り返すと、不思議と自分が作り上げた相手のイメージと、受けたダメージによって崩れ、自分の形が変わる。

 

 

 そして段々と、くっついた時にできる隙間が減っていくのだ。

 

 

そうしてできる集合体こそ家族であると思う。

 

同じ形でなくても、重なる時の面がピッタリと合う。

隙間ができたらぶつかって形を整え、またきちっとはまるように形を変える。

 

あの時母と起きた衝突は、互いに形を変えるため、家族になる為の努力であり、苦労だったのだ。

 

 

私はその努力が、Chef impair spleenというバンドでできたと思っている。

 

 

つまり彼らとは、形の違うもので集まった家族なのだ。

 

 

 

3月31日。飛んで4月1日。

 

起きたら深夜2時を回っていた。

 

8時半に夜ご飯を済ませ、そろそろ告知をしないと、と思ってから床に倒れていた。

 

……ここはどこだ、私は何をしている。

 

夕方に意を決してハッピーセットを買いに行ったことに神経を使い過ぎたか。

 

雨の中先日購入した原付を飛ばしてTSUTAYAに行き、外の返却ボックスが使用不可のためフルフェイスのまま店内に入り、DVDを返してダッシュで帰ったせいか。

 

 

 やーべえ、やっちまった。

 

虚無感に包まれたまま朝方までオードリー若林さんのエッセイを読み込んだ。

 

放送の感想を待っています。

 

残すところあと1回、元Chef impair spleenとして(偉そうである)、全うさせてください。