最終回:それでも生活をつづる

持つべきものは果たして友なのか。

 

 

 

小学校5年の夏頃、友だちと遊んでる時にジャンプを買った。

1人から「読ませて」とお願いされ、まだ自分が読んでないからと断った。

 

次の日から友だちが遊んでくれず、全員自分と話してくれなくなった。

 

流れて来た噂で知ったが、ジャンプを買っても読む前に頼まれたら友だちに読ませてあげていた子がいたらしい。

 

その子みたいじゃないからあいつはケチだ、そういう奴とは遊ばないようにしよう。

 

僕からジャンプを読む権利を得られなかった子が中心となって決めたそうだ。

 

 

その日から人が怖くなった。

 

宿題やわからない問題、たわいない話をするまで、物凄く勇気がいるようになり、次第に会話するのにかなり力を要していった。

 

何こいつ、お前の分際で話しかけるなよ

 

なんでそんな話こっちにしてくんだよ

 

そんな事を思われて、思わせてしまっていたらと思うと怖い。

 

自意識が酷くなり人見知りになった。

 

今でも人付き合いで、その人に慣れるのに最低半年はかかる。

表面上、仕事上の付き合いなら当たり障りなくできる自信は大学で得たつもりだ。

親しくというか、大げさに言えば、僕は人を愛するまでにかなり時間がかかるのだ。

 

 

小学校の時の彼らは、今ではきっとこの事を忘れているだろう。

彼らとはもう会わないし、今は友達でもなんでもない他人なので別にいい。

 

今は買ったジャンプを、読んでなくても頼まれたら自分より先に読ませる。

 

心が大きいとか小さいとかそういうのは全く意識しないが、少なからず当時の影響がある。

 

 

「読んでないなら読ませちゃダメだよ!本当にいいの?大丈夫なの?」

 

読む前と知った大概の人が今はそう返してくれる。

 

子供というのは時に恐ろしく、悪は果たして僕の元にあったのかと思ってしまう。

 

 

 

 

人見知りをなんとかしようと、どうしたら良い印象を持ってもらえるか方法を自分なりにいつも考えていた。

毎日毎日考えて、物事1つを考え過ぎるのが癖になった。

 

そんな事をしてたら生きてるのが楽しいなんて思わなくなった。

ネガティヴになったのだ。

 

高校からカレンダーの六曜をやたら気にするようになった。

大安の日にちょっとでも悪いことが起きると絶望した。

なんで自分ばっかりと心でいつも呟いていた。

 

ルールを破ったり奔放になると、いざ取り返しがつかなくなったとき、母が悲しむ事を想像したら何もできなかった。

 

人に迷惑をかけず生きる為に真面目になった。

 

 

僕は人見知りで、気の小さいビビり症、ネガティヴな真面目男なのである。

 

 

こんな奴が社会にいて良いのかと思うほどやばい奴だ。

 

 

こんな奴がロックスターに憧れ、ロックバンドを始めてみた。

 

ボーカルになればカッコよく、自分と真逆になれるのでは!

 

そう信じてキラキラしてたのもつかの間、簡単な道ではなくすぐに元に戻った。

 

真ネガ人ビビり男はMCができない。

真ネガ人ビビり男は反応を気にする。

真ネガ人ビビり男は悪口に弱い。

真ネガ人ビビり男はプロを見て自信を喪失する。

真ネガ人ビビり男は拘りが持てない。拘りってものがわからない。

 

絶望的であった。

 

なんでこんなことやってんだろう、売れるわけないから早々に辞めて実家に帰りたいと思っていた。

 

音楽を聴くのが嫌で、バイト先の賄いも美味しく感じない。

 

メンバーに怒られ、諭されたが、効果が全く無い。

 

真ネガ人ビビり男にクズが加えられ、真ネガ人クズビビり男になった。

 

 

良くブログやエッセイを書く人は、自らの中身の暗さや闇を晒す気がする。

ただメンヘラとかそういうのは流行りだ。流行りものを好きだというのは賛成だが、それを使って自分を正当化するのは違う。

 

僕だってここまで話してみたが、ただ晒す為に書いたわけではない。

ここまでは起承である。

 

ここから起き上がるのだ。

 

ハナ肇クレイジーキャッツに出会った。

 

『無責任一代男』という曲がある。

 

真面目にコツコツ生きる奴はご苦労だが、無責任である事が大事であると歌った(そんな解釈)曲である。

 

ものすごく心に刺さった。

 

他にもクレイジーキャッツの曲は、50年くらい前の曲なのに歌詞が今の世の中に通ずるものがある。

それに、強いメッセージ性というより、曲が日常を描いていて、なんとなく自然に「そうだよね」と思えるのである。

 

 

それだけじゃなかった。

 

有名な話だが、歌を担当する喜劇スター、植木等さんは、とても真面目な人であったというエピソードがある。

 

 

大スターに自分を重ねるなんて烏滸がましい。

 

でも「真面目な自分でも歌っていいんだ」「真面目でも音楽ってやっていいんだ」と思った。

 

考え過ぎた頭がスッと晴れた。

 

 

真面目でもネガティヴでも人見知りでも良いのだ。

たたそれを表に出して予防線を張ったり、気にしたりするのは面倒くさい。

 

そんなことはしなくていいのだ。

 

自分に責任を持たなくていい。

 

責任を取れる奴なんて世の中にいるだろうか。

 

そう考えたら、人の為に音楽をやるなんて事が面倒くさくなった。

 

自分の為に全力でやってみたい。

 

自分の為に全力を注いだ音楽は、人に聴いてもらうまで他人の役に立つかなんてわからない。

 

やる前から人の為になんてのは馬鹿野郎だ。

 

また作ったものは人に触れてもらって、自分の為に工夫する。

 

私は私、僕は僕。

これが自分だ!なんて言って工夫しない奴はオナニーをやってるのと同じだ。

 

ほんとの意味で自分のためだけに生きるのはどうしようもない。

 

 

メッセージなんていらない。

 

くだらない事やつまらないことを歌うのだ。

 

くだらない事やつまらないことは僕らの生活の中にたくさんある。

 

僕はそれを歌って、誰かを励ますこともせず、応援もするつもり0で誰かとまた会いたい。

 

あなたが「そうそう、最近こんな事があってね」と返事をしてくれたら嬉しい。

 

これからが楽しみな気持ちと同じだけ、これから先の道が不安で心配になる。

 

本質は変わらないまま、工夫して生きようとする決意である。

 

 

これでいいじゃないか。

 

 

 

 

ある女性に去年本気で説教した。

彼女はとても性格があっさりしていて、憧れだったのだが、人の事を考えず、自分中心な生き方をするという本性が現れ、被害にあった為だ。

 

効果は全く無く、嫌われても私は生きていくわ!みたいなそういう自信を持たれて終わった。

 

東ティモールに飛んでけ!クソ!

いい国らしいぞ!日本から消えろ!

 

という台詞は胸に閉まった。

 

 

だがついに我慢ができず、酔った勢いで「お前なんて地獄に落ちろ!!!」と言い放ってやろうとした。

 

友達に本気で止められて事無きを得た。

 

 

持つべきものは友である。